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2023/11/30 (Thu) 13:00:55

『ラジオの歴史』こぼればなし③  投稿者高橋雄造

 富士製作所/スター関係の続きです.” ラジオの歴史”と言うからには,富
士製作所,春日無線/トリオ,浜地常康,苫米地貢・伊藤賢治・『無線と実験』
あたりはメイン・トピックスで.力を入れて調べました.はじめは小生も,
”富士製作所は富士電機・富士通と関係があるのかしらん”といった程度の認
識でした.創業者佐藤祐次郎(佐藤俊の父君)が静岡県興津出身であるので”
富士商店” とし,これが富士製作所になったのであり,富士電機・富士通と
は無関係です.戦後にスター測器(”スタァ”)というのがありましたが,京
都の会社であったか,これも別物でしょう.
 佐藤祐次郎は,浜地常康の東京発明研究所の設立に関与しました.さらに,
苫米地貢(伊藤賢治,古沢匡一郎とともに『無線と実験』の創始者)の衆立
無線研究所の試作課長になりました.苫米地が東京中央放送局入りしたのち,
衆立無線研究所は佐藤が引き継ぎました(富士商店に吸収された).このよう
に,佐藤は早くから斯界の主流にいたわけです.
 富士商店の所在地は,
  東京市芝区田村町四番地(JOAK通り) 電話 芝(43)2260 振替 東
京19401
でした.衆立無線研究所の所在地(1928年)は,
  東京市芝区田村町三 電話 芝一三四〇番
とあります(『ラジオの歴史』78頁,図17).
 富士商店のブランド名は” SRL”でした.Short Wave Radio Laboratoryの
略でしょうか.部品等のほか,測定器が富士商店の主力製品でした.軍用製
造の関係から,東京・深川の米問屋木村徳兵衛と協力して,富士測定器(の
ちスイッチ等のフジソク社になった)を設立しました.海軍技術研究所・電
気試験所の幹部である高原大佐や木村六郎(木村徳兵衛の叔父)がこれに関
与したなど,時流に乗っていたさまがあります.
 米国の対日輸出禁止措置をかいくぐって,信号発生器(シグナル・ジェネ
レーター)を急ぎ米国から運び,深川あたりに陸揚げした,これをやったの
が軍と関係のある木村であったとか,聞いた記憶があります.佐藤も関係し
ていたことでしょう.
 佐藤祐次郎氏がどんな人であったか,わずかしか調べられなかったのが残
念です.氏は相当なやり手であったと思われますが,2代目の俊氏は甘い(守
りに弱い)ところがあったようです.”乳母日傘で育ったから”という評も聞
きました.
 佐藤一族と富士製作所は日本のラジオ史上で非常に重要な存在です.くわ
しくは下記拙稿を見て下さい. 研究論文ですから読みやすくないかもしれま
せんが,興味を持っていただければ幸いです.戦後の日本のラジオ・テレビ・
オーディオ工作の文化は,百花繚乱でした.拙稿はその一部分を書き留めた
にすぎません.こういった記憶もやがて消えていくのでしょう.

- ”電子工業史における中小企業の足跡――(I)富士製作所(STAR)とラジ
 オ工業”,『科学技術史』(日本科学技術史学会),1号,1997年,45-80頁.
- ”電子工業史における中小企業の足跡――(II)富士製作所(STAR)とテレ
 ビ工業”,同,2号,1998年,53-83頁.

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