お詫びとともに⑩に補正します:“中島さんには,その後何度もお目にかか
りました(後述するA社の介在なしに)”とします.
内尾さん,画像を出して下さってありがとうございます.”こぼればなし”
に画像を入れようとも思ったのですが,入れたい画像が多数あってきりがな
くなるので,断念しました.『ラジオの歴史』には,写真・図をふんだんに
入れました.
『ラジオ科学』に限らず,ラジオ雑誌の代理部ページ・代理部頒布はまこ
とに盛んでした.地方のファンにとってこれほど有難いものはなかったでし
ょう.小生には,手の届かないものが並んでいる”スタイルブック”でした.
代理部ページは本文の”目玉”である製作記事とも連動していて,代理部の利
益が雑誌販売を上回っていたこともあったようです.科学教材社(誠文堂新
光社の小川社長の弟がやっていた)刊行の『ラジオと模型(ラジオと模型工
作)』誌の例もあり,ラジオ雑誌と代理部とは連動して一体でした.部品・真
空管頒布は浜地の『ラヂオ』から始まっていることも,指摘しておきましょう.
製作記事を書くライター”先生”や編集部には,部品会社等から”サンプル”
部品がたくさん届けられたようです.”作ったつもり”の製作記事もあったか
もしれない(25MK15のはずが35W4が挿してある写真の製作記事があっ
た).また,ふんだんに届けられる部品でラジオや電蓄を組立てて知り合い等
にわけると,編集部員のよいアルバイトになったとか.
回路図の版は手書きであったようで,これは職人技・名人芸ですね.下手
くそな回路図を載せる雑誌もありました.島田聡さんは,印刷ぎりぎりまで
回路図を渡さない,編集・印刷泣かせであったそうです.長い線を何本も引
っ張る回路図はダメなんだ,と島田さんの言.