『ラジオ技術』の誌面は斬新でした.石井富好がこれに貢献したと思われ
ます.『ラジオ技術』創刊の頃,仙花紙(再生紙)を使っていたので,石井は
写真図を必ずおもて面に来るように編集しました(うら面はざらざらしてい
て写真が汚くなる).彼の功績の一つです.石井は,『無線と実験』で古沢の
後の第二代編集長でしたから相当のベテランですが,先輩編集者たちから低
く見られていたようです.その理由ははっきりしません.小生が調査した時
期に,”尾羽打ち枯らした石井にバッタリ出会った”と言う話を聞きました.
アルコール依存の自己破滅型? 戦後に,石井はRex(変圧器製造の巴電機
製作所)にいたことがあります.平田電機製作所(タンゴ)の平田兄弟もRex
にいたと言います(Rexの社長あるいは平田が山形県酒田出身で,石井と同
郷であったか).そこで,タンゴ社に連絡を入れました.しかし,このルート
による調査はうまくいきませんでした.石井の人と業績はきちんと書き遺さ
れるべきである,と考えます.
ラジオ工房掲示板の皆さんの多くが,『ラジオ技術』誌だけでなく”ラジオ
技術全書”のお世話になったはずです.小生は,今でも一木吉典『全日本真空
管マニュアル』ほかを持っています.これら”『ラジオ技術』文化”と呼ぶべ
きものがあったことを,指摘しておきたい.元・編集部の人でも”『ラジオ技
術』物語”というような記録を書いてくれることを希望します.
小生は,ラジオ技術社(神田淡路町)やエーアイ出版を訪ねたことがあり
ます.『ラジオの歴史』を謹呈しようとエーアイ出版に行ったのですが,間の
悪いことに『ラジオ技術』刊行締切間際であったらしく,挨拶もそこそこに
退去という羽目になりました.この頃の編集長は視力が落ちて大変であった
ようです.
『ラジオ技術』ライターには,北野進さんほか東工大の教員・学生が多か
った.そのせいか,それまでの他誌とちがった品の良さがあります.日本オ
ーディオ協会創立グループと『ラジオ技術』グループとは重なっており,同
誌はオーディオ技術誌としても成功しました.また,『CQ』の創刊号は東工
大北野研究室で編集された,と北野さん自身の言です.『ラジオ技術』誌上の
富木寛は北野氏のペンネームで,負帰還(ネガティブ・フィードバック/NF)
をもじったものです.ラジオ技術社 “ラジオ技術全書”シリーズ中の『ハイ
ファイアンプの設計』の著者の百瀬了介は,北野研究室の研究生であったと
のことです.北野さんは大学の先生から転身し起業しました.当時の斯界で
は珍しい例でしょう.風貌もプロフェッサー然として,気さくな方でした.
“東工大では実験室内各所にマイクロホンを配置して音波の空間分布を分析
した”とおっしゃっていました.研究トピックとしてはおもしろいな,と思
いました(小生も実験研究者でしたので).商品開発に必要なセンスはこのよ
うな研究者の能力とはちがうでしょうが,氏のNF回路設計ブロック社はア
ナログ技術の製品に重点を置いて好調でした.石井富好について北野さんに
くわしく訊いておくべきでした.
ラジオ雑誌調査に関し,為我井忠敬さんに大変お世話になりました.戦後
の『ラジオアマチュア』(『CQ』とは別物),『ラジオと実験』,『ラジオ世界』
などは,為我井さんからいただいて知った雑誌です.氏は,戦中,軍需省の
軍需官でした.お堅いエリート役人・技術者がラジオ工作ファンであったと
は,びっくりしました.陸軍技術大尉,戦後は防衛庁,専門は電波兵器・防
空シスシテムであったようですが,『水――水と産業』,あいうえお館,1983
年 という子ども向けの本を書いています.幅広く知識を持っていた方であっ
たのでしょう.