内尾さん,『ラジオ技術』創刊号の画像を出していただき,ありがとうご
ざいます.『ラジオ技術』創刊号は貴重品です.小生は初めて見ます.以下,
これを見て考えたことなど.
『ラジオ技術』のルーツは,他誌とちがって独特です(『ラジオの歴史』
61-64頁).理化学研究所(理研)周辺に”科学主義工業”グループがあり,こ
れは左翼系であった.戦後,同グループは生きるために石けん会社や婦人雑
誌といった事業をやったがうまくいかず,『ラジオ技術』だけが成功しました.
発行所の”科学社”は,科学主義工業の改称です.
内尾さんの画像の創刊号目次を見ると,解説記事が多く,溝上銈,高村悟,
富田義男といったNHK関係者が執筆していて,ややお堅い雑誌という印象
を受けます.”民”よりも”官”に近いという感じか.東工大教員の実吉純一の
名もあり,東工大との関係が当初からあったことが窺われます.理研の大河
内正敏所長の甥である大河内正陽が東工大教員で戦後の日本アマチュア無線
連盟理事長でしたから,科学主義工業グループは東工大やラジオ界とも近か
ったと推定されます.石井富好の“創刊の言葉”からも,大河内正敏によるサ
ポートがあったことがわかります.また,大河内正敏の子のひとりが左翼で
あったことも関連しているかもしれません.主筆・石井がもともと大河内正
敏に近かったかのかどうか,また,左翼であったかどうか,わかりません.
執筆者の島田公明は島田聡とは別の人か.”公明”と”聡”とは,字が通ずる
ようにも思われますが.後述のS氏も書いています.
編集部の顔ぶれなど:寺沢〇充は,『無線と実験』編集長であった寺沢春潮
とは別人でしょう(石井と寺沢春潮とは不仲であったと伝えられます).全く
のあてずっぽうですが,創刊号編集スタッフのなかで左翼?と思われるのは
福士実でしょうか.
後年の『ラジオ技術』編集部にも左翼人がいたかどうか? 原正和は科学主
義工業系であったようです.
それにしても,石井が『無線と実験』を離れた事情を知りたいところです.
ラジオ雑誌編集関係者に訊く機会はあったのですが,何か微妙なことがあり
そうだ(もめごと?)と感じ,ズバリ質問しない方がよいと,見送りました.
何人もの方にしつこく尋ねるべきした.
掲載広告から雑誌の”勢力圏” がなんとなく推測されるのですが,この『ラ
ジオ技術』創刊号広告の会社の多くは初見で,ピンときません.
以上,大変細かいことを書き連ねました.皆さんにはご迷惑かと思いまし
たが,内尾さんのご配慮,せっかくの機会なので書いてみました.お許し下
さい.