内尾さんの『電波技術』創刊号表紙,ありがとうございます。”『電波科学』
全編集部員責任編集”とはスゴイですね.かたちとしては『電波科学』から円
満退社のようですが・・・.『電波技術』画像に”「電波科学」1953年8月中
有効 ラジオ技術相談券”とあります!
『電波技術』の増田正誼は,のちにまたスピンアウトして,『電波実験』を
始めました.諸ラジオ雑誌の編集スタッフたちには出入りもあり(一例とし
て『ラジオ技術』の福士実はのちにオーム社の『ラジオと音響』にいた),全
体として事情に通じた仲間であったにちがいありません.『ラジオ科学』の柴
寛が音頭をとってできたでラジオ雑誌記者の会もありました.ラジオ雑誌編
集部の周辺や内幕などをOBの方でも書いて下さると面白いのですが.今と
なっては書ける人は存命でないでしょう.
内尾さんの『電波技術』創刊号画像中の”次号予告”に望月冨昉(後掲)が
あります.編集後記の”田島”は,後掲JATの会員になる田島定爾さんでしょ
うか.この編集後記の久我さんにも会ったことがありますが,くわしい話は
聞けませんでした.
村瀬一雄氏はNHKのこの関係では重要人物であったようです.日本放送
協会には,創立以来,W大学主流という位階があったように思われます(お
役所・公的機関で国立でない大学が幅を利かしたのは,珍しいことでしょう
か).