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2024/01/25 (Thu) 19:53:00

『ラジオの歴史』こぼればなし⑯  投稿者高橋雄造

 倉島さん,山下先生の論文についてご教示ありがとうございます.

 テレビ放送の初期には,受像機メーカーにもテレビ局にもテレビ技術のわ
かる人がほとんどいませんでした.大手メーカーが受像機製造を始めるにあ
たり,社員のうちでラジオ・テレビ工作ファン,テレビ受像機を組み立てた
ことのある者を探して担当チームをスタートさせたりしました.受像機生産
には,工員と工員指導係の技術が必要です.受像機生産は急拡大の一途でし
た.そこで,受像機メーカーは街のラジオ・テレビ技術学校の先生による社
員講習をしたり,これらの先生を招聘して社内学校をひらいたりしました.
”多摩川の向こうの”テレビ学校に頼んで来てもらった,というような表現を
読んだことがあります.社員に組立てさせて訓練するためのテレビキットを
大量に作った大手メーカーもありました.ラジオ・テレビ技術学校の修了生
を社員として雇用したりしました.大会社Hで採用基準に満たないにもかか
わらず多数を社員にした,と工場史に書いてあります.社内で異質の存在で
あったがよく働いてくれた,とか.
 テレビ局にも技術者が必要です.初期にはとくに不足し,貴重な存在でし
た.小生の知り合いのひとりはラジオ・テレビ工作ファンで,最初期の✕本
テレビに入社しました.” ✕テレにあのままいたら,いまごろは重役になって
いた”と笑っていました.
 テレビ技術関係では,曽田純夫さん,石橋俊夫さんのほか,平沢進さんに
いろいろ教えていただきました.業界の実情は部外者にはなかなか理解でき
ませんので,これらの方々からのご教示は大変助けになりました.
 原島四郎氏と言えば,テレビ放送開始前に受像機を組み立てた人で(日本
放送出版協会の雑誌『ラジオとテレビジョン』,創刊号,1950年の表紙にも
なっている),NHK技研のスタッフが”ご意見拝聴”したというスーパー大物
です.タバコ屋の店番をしながら受像機を組み立てた,とも伝えられます(三
宅博談).小生が会ってみると(三宅博さんも一緒に),ふつうの人でした.
こういった方々を皆エライ人だと思い込むのは,元ラジオ少年の習性/特権
でしょうか.
 日本アマチュア・テレビジョン研究会(JAT)についてはおもしろいこと
が沢山あって,とても書き切れません.TV K(テレビジョン部品技術研究会)
についても同様です.JATと日本オーディオ協会関連のことを,下記拙稿に
も書きました.
 TVKは,NHK技研の石橋俊夫の指導下につくられ佐藤俊(スター)が会
長,曽田三郎(QQQ)が副会長格でした, NHKの意図通り,TVKは受像
機産業を創成するのに大変に役立ちました(JATも).しかし,ある時期に,
石橋さんは”テレビ部品・受像機製作技術のノーハウをこれ以上ラジオ雑誌に
書くな”と言ったそうです(曽田純夫氏談).曽田社長は不本意であったでし
ょうが,NHKとしては受像機自作アマチュアや中小企業に頼る時期は終わ
り,受像機量産メーカーの時代に移行する,ということだったのでしょう.
こうしてTVKは(JATも)歴史的使命を果たし終えました.
 JAT役員・会員で”こぼればなし”に出てくる名に,永田秀一,松浦一郎,
原島四郎,増田正誼,富田潤二,春日二郎,三宅博,田島定爾があります.
 JATの女性会員であった上田(甘利)静江さんにも,インタビューしまし
た.ほかに『ラジオの歴史』関係でインタビューした女性に,『無線と実験』
編集部の竹内王子(きみこ)さんもいます.電子部品(コネクター)の多治
見無線の多治見孝子社長,高槻無線(タカヒロ電子.『CQ』に頒布ページが
あった)の高槻弘子社長,八木アンテナ関係の八木和子氏,一橋大学の山下
裕子先生も.
 JATの事務局は松浦一郎(秀行)が引き受け,JAT本部は彼の東京音響(浦
拡声器製作所)でした.松浦氏は建築畑の人で,自己流のラジオ修理からラ
ジオ界に入りました.コオロギほか鳴く虫の研究家で,大学の研究者も話を
聞きに来たということです.ところが――曽田純夫さんは世田谷の松浦家に
テレビ修理に行ったそうです.修理ならば腕に覚えの松浦さんであるはず(兵
頭勉というペンネームで『ラジオ修理メモ』という本を書いている――兵頭
勉はベートーベンをもじったものです)なのに,ご自分ではテレビの故障修
理はしなかった? 曽田さんがいい加減な話をするはずはないし・・・.

 - “ラジオ技術における非公式な研究交流団体の歴史―― I 十日会の足跡”,
 『科学技術史』,10号,2007年,77-90頁.
十日会のメンバーとして,”こぼればなし”に登場する次の面々がいました:
松浦一郎,原島四郎,春日二郎,白戸庸一,朝倉昭,池田圭.

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