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2024/01/30 (Tue) 17:36:38

『ラジオの歴史』こぼればなし⑱  投稿者高橋雄造

 テレビ技術資格試験・資格証の経験談と画像の情報,ありがとうございま
す.これら証書は貴重な一次史料です.ぜひ大事に保存されますよう.
 ”こぼればなし”は何度も見直して投稿しているのですが,誤字脱字等々が
残っています.後日,全部をまとめる時に直すつもりです.

 ”ラジオ教育研究所”の通信教育については,力を入れて取材しました(下
記拙稿があります).戦後,ラジオ受信機は故障したものばかりで,生産・供
給は不十分,故障修理しても直してくれるところがない.そこでラジオ自作
と故障修理の技術が求められました.結核でサナトリウムに入っている人が,
ラジオ修理ができるので患者仲間や看護婦さんに(お医者さんにも)モテた
そうです.こういうニーズは,都会だけでなく地方まで,全国で大きかった.
そこで,受信機技術・故障修理の通信教育や前述のラジオ技術学校が盛んだ
ったのです.『ラジオ科学』の柴田寛も,ラジオ技術の通信教育事業をしまし
た.
 学生がラジオや電気器具の修理アルバイトのクラブを作った(東大第二工
学部の”電気相談部”)こともあった.(電気ではありませんが,小生の学生時
代にはふすま張りや謄写版印刷のガリ切りといったアルバイトもあった.今
から見ると,貧しくて健全な時代だったでしょうか.)
 小生がこれら通信教育・学校に関心を持ったのは,日本に電気技術者は何
人ぐらいいたのか知りたかったからです.文部省統計によって推定すると,
戦後・1998年までの大学・工業高校ほか電気の学校・学科の卒業生数(通信
教育やラジオ・テレビ技術学校の年間修了者は含まない)は累計で約3.2百
万人,1966年~1998年には毎年7万人以上です.これは,大きな数字です.
1997年には,同世代(20歳人口とする)男性の24人につき1人が電気技
術者として教育されたと推定されます.こういった人々は.市民・社会の科
学技術リテラシー・電気リテラシーというべきものに役立っているにちがい
ありません.これも,社会における我々”電気屋”の存在理由です.
 戦前・戦後のラジオ・テレビ技術学校ほか各種学校や通信教育は,”正規
の”学校教育ではなく,社会教育の一部です(博物館も社会教育に属します).
これらで学んでも”学歴” にはならないので,とかく一般社会で”低く”見られ
る――”永続教育”とか”生涯教育”とかキレイな言葉で呼ばれるようになった
のは,近年のことです.文部省関係の方に教えられたのですが,戦前の文部
省では社会教育担当部局は傍流ではなく主流であったそうです.ホワイ? ず
ばり,“皇民教育”のためです.これは,進学率に関係しています.戦前に旧
制中学(男子の場合)に進学できる者は少数で,一種のエリ-トであり,現
在の大学進学者より“上”だったでしょう(中学を出ていれば,どこでも“ち
ゃんとした人”と見られたのです).とすると,残りの多数の人々をどこで教
化する? ・・・国民統御・皇民化のためには学校教育だけでは不十分で,社
会教育の方が重要であった,ということです.
 戦前の通信教育の方式は講義録頒布風だったのですが,戦後,米占領軍の
指導(強制? 担当はネルソン大尉)によって”社会通信教育”として面目を一
新しました(ガイドブックを導入する,など).戦前・戦中の通信教育の歴史
を調べているうちに,当時の文部省お役人が熱心にこれに取り組んでいたと
気付きました.その時はちょっと不思議に思いました.上記文部省の方の言
で腑に落ちました.戦後の通信教育の隆盛,これは”ポツダム通信教育”であ
ったとしても,また,戦前・戦中からの文部省の努力のたまものであったの
です.
 今の後期高齢者のさらにお母さん世代の多くが,編み物や染め物,洋裁等々
の通信教育のお世話になりました.きれいな色の毛糸がない,染料が手に入
らない,植物や花を摘んで来て,また,紅茶で糸を染めたものです(小生の
母も).女性対象だけでなく,ペン習字,トレース等々,いろいろな通信教育
があり,新聞の広告欄にいっぱいでした.いまでも,校正の通信教育などの
新聞広告を見ることがあります.
 ラジオ技術の通信教育からラジオ屋・電器店等へと,プロになった人もい
ました.ラジオ工房掲示板の皆さんにも,ラジオ技術ほかの通信教育のお世
話になった方がいるでしょうか.当時の思い出など,ききたいものです.
 ラジオ教育研究所の通信教育は,のち,電子技術教育協会・電子文化研究
所と改称して行うようになりました.同時に,数十種目の通信教育をそれぞ
れ別個の社名でやっていました.”ニューデザイン教育協会” といったような
名ですが,連絡先・所在地はどれも同一です.業界の様態ですね.新宿区大
京町の本部に,五十棲吉巳という方を訪ねました.当初は”畑違いの若造が何
をしに来た?”という感じでしたが,ラジオ教育研究所についていろいろくわ
しいことを教えてくれました.社史のような『文部省認定社会教育実勢団体
財団法人ラジオ教育研究所通信教育30年の歩み』の校正刷を見せていただ
きました.これは,結局は刊行されなかったらしい.ここで聞いた話も含め
て,ラジオ教育研究所の諸人物像は大変に面白い.当時の文部省のようすも
知ることになり,勉強になりました.

- ”戦後のラジオ・エレクトロニクス技術通信教育の歴史――ラジオ教育研究
所の通信教育”,『科学技術史』(日本科学技術史学会),5号,2001年,
41-96頁.

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