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2024/02/19 (Mon) 16:38:00

『ラジオの歴史』こぼればなし㉔  投稿者高橋雄造

 名古屋・中京は,トランジスター・ラジオやトランシーバーなど米国向け
輸出電子機器の中小企業があって,その基地の様相がありました.これらの
会社・工場は,ブームを当て込んでの”一旗組”です.米国バイヤーの求めに
応じたり,OEM生産など.名の通っていて歴史のある会社ではない.機動
的で,ブームが過ぎると撤退し転業する.それゆえ歴史・記憶に残りにくい
のですが,こういった会社・工場が日本の電子工業の成功と日本の繁栄の原
動力の一部であったのです.このあたりを実証研究する研究者が出てくるこ
とを期待したい.東京と大阪だけじゃない,電子工業に関しては名古屋を調
べないといけません!
 トランジスター・ラジオだけでなく,輸出用トランシーバーもとにかく儲
かったらしい.名古屋でなく東京の人ですが,トランシーバーで儲かって儲
かって,銀座で豪遊したといいます.米国でトランシーバーが売れたのは,
長距離トラックが,警察の取り締まり情報の交換など,相互の連絡に使った
からだそうです.
 白砂電機(シルバー)の創業者白砂允さんは電気の知識は独学で,名古屋
で知られたラジオ少年でした.島田聡少年も,広島の電機商のあいだで有名
でした.島田さんは東京に来て秋葉原を見て,”なんだ,この程度か”と思っ
たそうです.名古屋や広島のこういった往時のラジオ店感覚を調べて分かる
ならば,面白いと思います.
 大阪で戦前にスピーカーの有力メーカーであった戸根源(戸根無線),その
元オーナー戸根康夫さんを訪ねました.電子工業・ラジオ工業を調べたいと
いう文系大学院生と同道して,大阪に行きました.このN君と駅で落ち合っ
たら,茶髪です.“茶髪ですね”と言ったら,きのう染めたとのこと.相手は
高齢の人なのだから,昨日でなくインタビュー後に染めればよいのに,と思
いました.今とちがって,茶髪が白眼視された時代です.幸い,戸根さんは
彼を見ても変な顔をされませんでした.N君は電子工業・ラジオ工業史の立
派な研究をして,今は大学の先生です.氏の著作について,後述します.
 戦後の北九州や広島の電機・電子工業の歴史も知りたいと思います.朝鮮
戦争で日本は米軍の兵站基地となり,敗戦からの復興を果たしました.朝鮮
特需です.朝鮮半島に近い北九州・下関や,軍都であった広島(大本営が置
かれた時もあった)・呉の工場は,米軍の通信・電子機器の補修を行ったと推
定されます.その過程で,米国の進んだ技術を学び習得した.戦争の需要・
要請ですから,タダで技術を教えてもらったようなものです.これが日本の
電子工業の発展と日本の経済高度成長の基盤を準備した.広島の島田聡少年
の背景に,このような事情があったと思われます.北九州・広島などの米軍
電気・電子特需を調査・発掘してくれる研究者はいないでしょうか――北九
州や広島の大学院生でも.ラジオ工房掲示板の皆さんには,経験や見聞をお
持ちの方はいらっしゃらないでしょうか(年齢からして今はもう無理か?).
 米軍無線機器の部品技術について.中間周波トランスのアルミ深絞りのケ
ースは,戦前の日本ではできなかったと聞きました.日本軍航空機搭載の機
器の重量増加となったか.日米の技術の差は大きかった.他方,米軍のウォ
ーキートーキー(トランシーバー)のmT菅ソケットはウェーハー型だった
ように記憶しています.振動等を考えると,モールド型であるべきか.数十
年後の眼には,米軍の部品も,案外,安手に見えるところがあります.

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