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2024/02/20 (Tue) 18:16:23

『ラジオの歴史』こぼればなし㉕  投稿者高橋雄造

 PDC加藤さんの書込み,拝読しました.子どものときにこういった物をも
らうと,宝物です.小生も,知り合いのお兄さん(大学生)から古い真空管
(UX222など)をもらいました.今まで保存しておけばよかった.222は,
初期のスクリーングリッド四極管で,24Bの前身でしょうか.プレートがイ
ボイボのメッシュ状,銀色に光っていました.

 書き残りの一つ:ラジオ・テレビだけでなく電子部品の調査研究には,工
業会・学協会などの公的機関の方々にもずいぶんお世話になりました.テレ
ビ受像機キットの詳しい生産統計を見せてもらった,など.学協会の事務局
OBの方々からのご教示は,大変役立ちました.日本電子工業会(EIAJ.現
電子情報技術産業協会/JEITA)には,理事会の議事録がズラッと並んでい
ました.貴重な史料ですが,先行き廃棄になるだろうなと思いました.保存
すべきです,しかし小生の力ではどうにもなりませんでした.

 もう一つ,インタビューに会社の人同席の例:創業社長にインタビューし
た際に,“勉強になることだからキミもそこで聴いていたまえ”と言われて社
員が陪席したようなこともあったかと思います.これは,発言監視のお目付
社員同席とはちがいます.
 シャープのテレビ受像機開発陣の服部正夫さんに会ったときは,インタビ
ュー場所の喫茶店までシャープ社員が来ました.これは,ご本人がパーキン
ソン病で身体の動作が定かでなく,その介添え役で同席したものです.”国産
最初”の受像機を発売した早川電機(シャープ)では,副社長格の笹尾三郎が
受像機開発のリーダーで,受像機の出張修理には自らも行ったとのこと.修
理は視聴者のお宅へ上がって奥さんに会い,床の間のようなところに設置し
てあるテレビに触るのですから,同社の出張修理要員には毎朝,服装,靴,
ハンカチまで笹尾さん自らが検査したそうです.受像機開発だけでなく修理
サービスにも力を注いだ早川電機は,メーカー別受像機年間生産台数が1957
年までトップでした(テレビ放送開始は1953年).小生のインタビューには,
亡くなった笹尾さんの代わりに,部下であった服部さんが体の不調を押して
出てきて下さったのです.シャープがそのテレビ開発の歴史を非常に大事に
していることがよくわかりました.前述の発言監視の会社とはちがいます.
 修理ネットワークの整備は.受像機メーカーにとって非常に重要でした.
松下電器は,他メーカーとちがって300mA真空管方式であったので,自前
で修理サービスマンを養成することがとくに必要であったでしょう.また,
ある会社のテレビは感度が良いので,地方までよく売れた.そのため遠隔地
にサービスマンを派遣しなければならず,会社にとって重い負担であったと
のこと.

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