こぼればなしにしっぽをつけるなんて,みっともないのですがお許し下さ
い.多数回の”こぼればなし”は,まとめて一つにして,内尾さんに送るつも
りです.その際に,多少の補正・配置替えなどいたします.今回のしっぽも,
関連個所に追加して配置します.
㉔の米国製機器のmT管ソケットに関連して:ウェーファー・ソケットの
方がモールド・ソケットよりもmT管が割れにくいという理由があったのか
もしれません.太い線で配線するとmT管挿入時にクラックが入る,線をハ
ンダ付けするときにはボケ球を挿しておいて行う,といったことが1950年
代にありました.その後,タマもソケットも改善されて,良くなった(ミツ
ミのソケットが決定版になったか).
書込みして下さった津田さんは,小生がお世話になった三重県の津田さん
でしょうか.『ラジオの歴史』執筆にあたっては,貴資料とご教示が大変役立
ちました.お礼申し上げます.
小生は,残念ながら,テレビキットは作りませんでした.藤沢市に住んだ
伯父の家のテレビは,近所の電気屋が組んだスターのキットでした.真空管
ヒーターはトランスで,B電源はセレン倍電圧整流です.トランスレスで全
真空管ヒーター直列というのは,作業に厄介です(作業中にはブラウン管だ
けヒータートランスを使うとよいか).ラジオ商には,スターのセミ・トラン
スレスが好ましかったのでしょう,スターのテレビキットは全国各地によく
売れたようです.このあたり,スターの佐藤俊の手腕でしょう.それだけに,
テレビキットへの加重課税は佐藤俊にとって大打撃だったはずです.
小生の家の最初のテレビは,東芝製でした.トランス式です.プロ野球大
毎オリオンズが西本監督で優勝した後であったか.野球を見るのは4チャン
ネルですが,他チャンネルは良いのにここだけうつりが悪い.チューナーの
設計が悪かったのだと思います.大和電気のフジ・チューナー(6RHH2,
6MHH3使用)です.アルプスのチューナーの誤設計(前述)に由来するか?
大和電気は,当時流行の品質管理(QC)でも知られた会社でした.東芝も
大和もイ✕カゲンなものだ,当時の少年の感想です.
赤塚不二夫の《天才バカボン》でバカボンとパパがテレビを修理すること
を,『ラジオの歴史』に書きました.秋本治の《こち亀》には短波ラジオが出
てきます.スカイセンサー5900や,クーガー2200.両さん巡査がラジオマ
ニアとは!『週刊少年ジャンプ』2012年5月28日号です.
ラジオと文芸で,ラジオのキライな人の話.永井荷風は”ラディオ”や”蓄音
機の流行歌(はやりうた)” の音が大嫌いでした,とくに夏場には窓を開け
放しにしてラジオをかける家が多く,”亀裂(ひび)の入(い)ったような鋭
い物音”に堪えきれず(口実でしょうか)自宅を離れて,向島・寺島町・玉の
井の私娼窟(滝田ゆうの漫画にある)へ出かけるのでした.当時の再生式受
信機はピー・ギャーと発振するし,ひどい音であった.これには,荷風が日
本放送協会のプロパガンダ放送を嫌悪したからだ,という解釈もあります.
いやいや,そんな理屈よりも,荷風は江戸文化に憧れて,その江戸の町には
”ラディオ”の音がなかっただけのことでしょう.荷風は太平洋戦争中の”大本
営発表”ラジオも嫌ったか.終戦時の”玉音放送”を荷風はどう聴いたでしょう
か(荷風自身は何か書き遺しているでしょうか?).